このホームパージをご覧いただいている方の中には「権利擁護支援」に関わっていらっしゃる方も多いと思います。そこで、これまでよくご質問いただく中の一つである「私がなぜ権利擁護支援の取り組みを始めたのか?」について書いてみたいと思います。この部分は私が「虐待者」から「支援者」へと転換していくプロセスでもあります。面倒くさい話になるかもしれませんが、ボチボチ綴っていきますので気楽にご覧下さい。(^^;)
これは、その昔ある雑誌の座談会でお話したことです。今でこそ私は、権利擁護支援とか、虐待対応SV、困難ケース支援等々と立ち回っていますが、以前はとんでもない施設職員だったのです。今でいう「虐待」的な対応を利用者に行っていた職員だったのです。当時の私は福祉職、とりわけ知的障害児者施設の職員という仕事に全く意欲がなく、自分の人生にも失望と倦怠、挫折と自棄の只中にありました。日々の勤務の中で利用者には怒ってばかりいました。指示、命令、禁止、制限ばかりの対応です。(-_-;)
そんな私がようやく変化の兆しを見せ始めたのは30歳を過ぎて自分の子供を育て始めてからです。共稼ぎだったので当然ですが私も子育てをそれなりに担わねばならずそれなりに悪戦苦闘していました。それまでも何とか自分を変えようと試みたことが何度かありましたが、いずれも続かずパチンコで憂さを晴らしていました(負けてばかりなので、ここでもストレスは高くなっていたようです)。そんなある日、自分の中で暗く深い「底」についたような行き詰まり感がありました(これはあくまでも私自身の「気持ち」であり感覚なので、いわゆる「底つき体験」とは違います)。そこで、ようやく自分を変える取り組みは始めました。今まで自分が嫌っていたことにチャレンジして何とか「変化」につなげようとしました。その一つが登山です。友人にお願いして初めて上った山が北アルプスの穂高でした。涸沢岳から奥穂高、北穂を超えていくルートでした。初心者の私になぜこんな厳しいルートを私に示したのか不思議に思って友人に聞くと、あなたに山を好きになってほしいと思ったから忘れられない感動を与えてくれる山に連れていきたかったと話してくれました。
山行は苦しかったのですが、頂上に立つとすべてを忘れ感動に浸れました。それから、あちこちに出かけましたが、最後に私を自己変革に導いてくれたのは北海道の愛山渓・沼の平でした。紅葉の頃の黒岳縦走から愛山渓へと移動しました。そこはこれまで見たことのない不思議な世界で「桃源郷」のようであり、自分の中の不浄なものが流されていく感じがしました。
その後から、私は利用者への対応を意図的に変えていったのです。