こうして私は何とか再生(新生?かも)できたようです。この間、約5年ほどですがちょっとしんどい期間でした。しかし、少しずつ変化を感じていた日々でもありました。
私は今、各地の法人・施設・事業所から要請を受けて虐待防止のお手伝い(研修講師やコンサル)をしていますが、そこでもこうした「再生」の話を時々します。研修を受けただけでは自らの生き方や実践を変えることはできません。日々の利用者との関わりや支援の内容を変えることでようやく「変化」を実感できるのだと思います。
東京の施設を辞めた後、しばらくは浪人覚悟で一から支援の出直しを図れる「場」を探していました。その中で、いくつか気になった法人・施設にお手紙を出したり、自分がまとめた支援に関わる考え方等を送ったりしていました。
その一つに神奈川県内の法人がありました。何か気になったようで面談していただく機会を得て、「実習」のような形で現場に入れていただきました。そこでの様子を含めて観察・評価されていたと思いますが、その結果、知的障害者の通所施設に勤務することになりました。
しかも、いきなり「指導課長」という中間管理職の役割でした。翌年からは施設長になり、複数の事業所の所長も兼務することになりました。それまでは全くの平職員でしかありませんでしたが、私は幸運にも実践をやり直せる機会に恵まれました。とにかく日々の仕事が楽しく懸命に取り組みました。ここでの取り組みは「個別援助プログラム」と称して日中活動を5領域に分けてそれを個別に選択していただいて一人一人が自分の活動プログラムを設定して取り組むというものでした。いわばカルチャーセンターのようなイメージですね。それまでの「集団処遇」(グループ活動)というスタイルから個別に活動が設定されるので、午前と午後で参加するプログラムが一人一人違うというスタイルです。ほかにも現在でいうところの体験型グループホームの試行を行ったり、作業所では無添加の液体石鹼づくりに取り組んだり、地域のお祭りに参加して自らたこ焼きを焼いて提供したり、実に様々な取り組みをしました。この間取り組みで改めて障害者支援の内容を企画から実践に至るまで関わること機会を得て、また通所施設、地域作業所、身体障害者のケアセンター、グループホームの所長を兼務することで多様な利用者に関わることが出来ました。
その後、また機会をいただき新たに入所施設を開設する法人に転職してさらに多くの実践に関わると共に、ここで権利擁護支援との最初の出会いがありました。